私は人生というものは何事もプラスマイナス0に収束していくものだと信じています。
あらゆる物事が1つでないように、このプラスマイナス0に収束する波というものも1つでないものだと考えています。小さなプラスマイナス0の波と大きなプラスマイナス0の波があるといったように。ただしその総和は必ず0になり、常に0になっている。大雑把な表現になっているのは、それを私も大雑把にしか感じていないからです。ただそう信じているという話です。
そういった話が前提にあって、私は考えたのです。得を手にするために損を自ら生み出せばいいのではないかと。自ら損を手にすることで、得がやってくるのではないかと。ただ辛いのは嫌だし、適度に損する方法はないものか。
そして思いついたのです。そうか、読んで損する話を作ればいいのかと。
目次
深刻な問題
深刻な問題を抱えた深刻そうな表情を浮かべたまさに深刻を体現したような男が私の元へとやって来た。彼は私に対して挨拶や自己紹介をするどころか、何を言うこともなく、呼吸の音すら聞こえないのであるが、それは元々私の所有物であるかのように、次の走者へバトンを渡すように、私の胸元へと深刻な問題を押し付けてきた。彼はそのままそそくさと何処かへと帰っていったわけだが、私はその押し付けられた深刻な問題をとりあえず小脇に抱え直した。そうして深刻な問題は私の元へと届けられたのだった。
私は考えた。一体どのように処理してやろうかと、私は部屋を少し歩き回り、深刻な問題を少し見つめてから一呼吸置いて考えた。そもそも彼はこの深刻な問題を私に押し付けた後、どこへ帰ったのだろうか。はたまた彼は帰ってなどおらず、私の元へはあくまでただの中継地点にしか過ぎず、他にも深刻な問題を抱えており、また別の人間へと届けに向かっているのだろうか。どちらにせよ、私には関係のないことだった。関係があるのはこの深刻な問題だけだ。
さて処理方法であるが、私はこの深刻な問題をいっそのこと食材として扱い、物理的に消化することで解決の道を辿ってみることにした。食材たるもの洗わねばならないと、蛇口をひねり、ぬるい錆が混じった水で深刻な問題を手の平全体で洗った。深刻な問題はもともと綺麗であったようで全く何も付着していなかった。深刻な問題は人参のような形をしており、しかし細く尖った先は四又に分かれており、色は白と黄のマダラ模様で、真ん中には小指が通るくらいの穴が空いている。
次は皮を剥かねばならない。ピーラーを持ち出し、深刻な問題を黙々と剥いていくのだが、削れるような音だけ発せられているだけで何かが削られているわけではなかった。ピーラーの刃が悪いのか、皮が硬すぎるのか。私は考え、錆びたピーラーを捨てた。危険物であるからにして、月末の月曜日に出せばいいのだろうと私はさらに考えを募らせた。こんなにも無駄なことを考えたのには、そうしているうちに深刻な問題が動きを見せるのではないかと思ったからだ。しかし、先程と変わらず深刻な問題はまな板の上で私を見つめている。
とりあえず深刻な問題を半分に切ろうと私は包丁を手にし、それへと突き立てた。深刻な問題は意外にも柔らかいようで縦に分断することは難しくなかった。二等分にした時、それはゴゥゴゥと音を立て、三等分にした時、それはギィギィと音を立て、四等分にした時にはジジジと音を立てた。
程よい大きさになった深刻な問題を鍋に入れ、水を入れ沸かしてみることにした。するとリャアリャアと鍋が鳴り始め、湯が百度に達し始めたころ、玄関から私を呼ぶ声がした。覗き穴から姿を確認すると、私を訪ねて来たのは四等分にした時の四つ目の深刻な問題であった。四つ目の深刻な問題は、彼を抱えて玄関の前に立っていた。
ザザザ
それの名前がザザザだということは何故か幼少の頃より認識していた。ザザザという名前はテレビの砂嵐の様子から取っているのだろうと勝手に納得をしていた、或いはそうされられていたのかもしれないが、どちらにせよ私の認識の根元に存在していたものだから、周りの人間にアレの名前はザザザですよねなどと確認することは無かった。私にとって鉛筆を指してこれは鉛筆ですよねと確認するようなものだからだ。当たり前の存在であったし、なにより実際ザザザはテレビの砂嵐そのものの様子であった。
ザザザは私が物心つく前から私の前に現れていた。私の前に現れるのは決まって雨が降った翌日である。砂嵐をそのまま切り取ってそこらに置いたような、ザザザはそんな出で立ちをしている。音を発することはない。私が砂嵐の亀裂のようなものに触れても、石を投げてみても、蹴り飛ばしてみても、ザザザは反応しない。ただ飛ばされて、飛ばされた先で私の方を見るようにして起き上がる。ザザザは物質のようであり、生き物のようにも見えた。触った感じは意外にも柔らかく、少し温かい。人の体温と変わらず、砂嵐のように見えるそれは糸のようなものが複雑に交差していた。細く、ゴムのように柔らかい。それが面を成しており、触れるとその中へ沈んでいくような、なんとも少し魅力的な感触を持つ。
この異様な存在をしっかりと異様な存在だと認識したのは高校二年生の頃であった。如何せん、私にはザザザが物心ついた時から見えていたものだから、周りの人間にも当然見えているものだと、疑うことすらなかった。
ある日、雨の日の翌日にも関わらずザザザが現れなかったことがあった。私は友人に今日は珍しくザザザが現れませんねなんて話をしてみたら、ザザザとは一体何を指しているのですかと逆に問われてしまった。ザザザとは、と説明をしたが一向に通じる気配が見えなかった。帰宅してそのことを母へ話したところ、分かってもらえるどころか、そんなもの存在するわけがありません、親をからかうものがどこにありますか、と激しく叱られてしまった。普段は温厚な母がここまで声を荒げる。何か訳がなければここまで過剰な反応するわけがないのだ。母はまるでザザザという存在を恐れ、ザザザという存在を認識できる私を哀れんでいるかのように見えた。
そうして初めて私は認識したのだ。ザザザは私にしか見えていない、若しくは私の前にしか現れない物体、生物であり、それは見てはいけないものだということを。母の危機感にあてられたというのも多少あったのかもしれない。
異様な存在であるものと認識してから、それから十年程、私はザザザを認識の外へと追い出した。それなのに私が何故今、ザザザについて話をしているのか。
つい先日、雨かもう止みかけている夜、ちょうど0時頃、晴れた翌日へと存在を構築しているザザザを見かけた。こんな場面に出会うことなどなかったものだから私はよく目を凝らし、その様子に注意した。暫く隠れて様子を伺っていたら、ザザザの糸の奥にあるモノが構築されていく姿が見えた。徐々に構築されているその不完全なザザザを見て、私はザザザの正体に気が付いた。ザザザは存在を失っている存在だったのだ。
こんな無駄なことを書いている自分が一番損している
本日は6月25日。
早いことに今年もあと189日、もう折り返し地点にきています。このサイトが始まったのが、昨年の12月15日。私が記事を書き(コピペ)始めてからもう半年以上も経っています。継続は力なりという言葉を信じて、毎日腸がねじ切れる思いで1日1記事生み出しているわけですが、本来ならば私の記事を書く(コピペ)才能を考慮すると、今の時点でツイッターのフォロワー10万人を達成しているはずでした。
しかし、現実は16人。ほぼ広告アカウントで、有効数は4、5人。そのうち2人はばかにゅーメンバーです。私のツイッターは4月9日の「猫という猫から猫が出てくる奇病猫猫病」というツイートを最後に更新されていません。なぜか。限界が訪れたのです。このツイートこそ私の最大限のユーモアだったのです。クソ最高に面白い呟きを思いついたぞと呟いたのですが、全く反応がなくて心が折れてしまったのです。本当にただ、ただ、ただ、呟いただけで終わってしまったのです。人々が求めているのはただの呟きではなく、“ツイート”なのです。そもそも今冷静になって考えてみると、この猫猫病ツイートがウケるわけがないのです。意味がわかりませんもの。ただそれでもウケると思っていたのです。ホリケンがウケるように私がウケてもおかしくないと考えていたのです。それが間違いなのでした。
それからというもの私はツイッターに希望を馳せることはやめて、記事に注力するようになりました。とりあえずの目標としたことはこのばかにゅー内でアクセス数を誰よりも取ること。どうすればアクセスを取ることができるか。SEO対策をしっかりとして記事を作る。最もです。最もですが、私はその道は避けよう(労力回避)とツイッターからの流入を考えたのです。このサイトでは記事が上がるたびにツイッターへと流れるよう設定されているのですが、そこで私はアクセスを稼ごうとしたのです。そのためにはどうすればいいのか。
中小企業、ベンチャー企業作戦です。取り扱われることが大手よりも少ないであろう、出たての会社や出たてのサービスを狙うことにしたのでした。その結果、実際に情報元の人たちからリツイートやいいねをもらえるようになり、見栄えがよくなったのです。よく考えればWinWinな関係ですごく効率がいい動きなのではないだろうか。そう、考えました。なんだかゲスいような話ではありますが、これが私の現実なのです。
ということで中小企業、ベンチャー企業の皆様、尽力させていただきますので、どうぞ今度ともこのわたくしめをご贔屓によろしくお願いいたします。