お気づきだろうか? クソ真面目と呼ばれる人のほとんどは、自分のルールに従って生きているだけなので、大抵が無自覚なのだ。むしろ自分はちょっと不真面目なんじゃないだろうかと疑ってさえいるくらいだ。
僕がSNSを活用するにしてもそうだ。面白いネタがあるからそれを表現しようとしても、締めを書く頃には不気味なほどに真面目な文章へと変換されていて、肝心の面白い部分が薄れている。
そんなクソ真面目が染み付いている僕らは、どのようにすればクソ真面目なことをこれからの生活に活かしていけるだろうか。
目次
最初はクソ真面目を捨てたかった
小学生の頃、この性格が災いして余計なトラブルに巻き込まれたことがある。いわゆるイジメの現場に遭遇した時に、助けたことがきっかけだった。
正直な話、普段から正義感が強いほうだった訳ではない。ただ、目の前の胸糞悪い現場をみていられなかっただけだった。
「もう、やめろよ」なんて、お決まりのセリフを吐いてしまったもんだから、その場は収まったものの典型的なパターンに落ちる結果になる訳だ。後になって、なんで余計なことしたんだろうと思うのも正義感が強い訳ではない証拠だろう。
その頃から、真面目に生きていても良いことなんかないと、子供ながらに今後の生き方に軌道修正をかけはじめた。高校生になる頃には立派な不真面目とはいかずに、中途半端なナマケモノに進化しただけだった。
結局、社会人として仕事をするようになる頃には、このままではマズイと焦った結果。もとのクソ真面目へと退化していくわけだ。
こんな僕でもSNSで面白いことを書きたい
じゃあ、何をすれば他の人が書いているようなクスッと笑える、誰かに教えたくなるようなツイートを呟けるのだろう。自分で発見するのは難しそうなので、アドバイスをもらってみることにした。
クソ真面目な性格をよく知る相手に今回のことを相談してみると、意外にも単純なアドバイスが貰えた。
「説明っぽいから、それやめたら?」
面白い状況を伝えようと思うがあまり、説明口調になっていたようだ。これでは肝心のネタが薄れてしまうのも無理はない。
クソ真面目なのはデメリットばかりではない
なぜ、クソ真面目だと言われるのか、おそらくこれが原因ではないかと思われることを整理してみた。
他人が気にしないようなところで、より丁寧な考え方を優先しがちなのではないだろうか。特に確かに正しいけど、相手からしてみればそこまで真面目に考えなくても……という考え方が、ただの真面目をクソ真面目へとクラスチェンジさせる。
他のみんなは、これは大丈夫だろうという想定をすることで、クソ真面目な僕らとは違って要領よく生きている。ようするにクソ真面目=心配性ということだろう。
しかし、だからこそのメリットが必ずある。僕らが心配しているのは、こちらが考えている通りの出来事や受け取り方をされなかった場合を想定しているからだ。
確かに、10回の1回だけかもしれないけれど、思うようにいかないことは必ずあるので、そういった場合に他のみんなに比べて僕らは損をすることが少ない、これは間違いなくメリットと言えるだろう。
クソ真面目な文章の終わりに
あくまで、他人と比べてそれが表面に現れやすい人がクソ真面目と思われるようになる。確かに、自分のルールに縛られることは良い結果を生むことを遠ざけてしまう可能性もある。
だからこそ、クソ真面目な人はもう少し頭を柔らかく持つことで、クソ真面目な考え方だからこそ持っているメリットだけを引き出せるようになるのではないだろうか。
ただ、クソ真面目に悩んでいる時点でクソ真面目なのだということは、だけは覚えておいてほしい。