Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/tokos/bakanyu.com/public_html/wp-content/plugins/pixabay-images/pixabay-images.php on line 34

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/tokos/bakanyu.com/public_html/wp-content/plugins/pixabay-images/pixabay-images.php on line 34
子供の時に我慢していて、大人になってタガが外れたこと – ばかにゅー.com

子供の時に我慢していて、大人になってタガが外れたこと

子供の時、我慢していて大人になってからその我慢し続けてきたモノが爆発することってありますよね。

皆さんは子供の時どんなもの、ことを我慢してきましたか。そしてそれらは大人になってから爆発しちゃってますか。
今回も今回とて自分語りの記事になってしまいますが、私が子供の時我慢していて大人になった今爆発しちゃってるものを書いていきたいと思います。

目次

その1.「物欲」

これは爆発しちゃってるというか、みんなそうですよね。お金を自分で稼げるようになって、自分で自由に使えるようになって、なんならお金を自由によそから借りてくることもできちゃう。大人になるってのはとんでもなく自由です。その自由の中で自分の欲をどれだけ抑えられるか。抑えられません。

子供の頃はガチャガチャ1回まわすのだって何週間も我慢できたのに。

食材の買い物に連れ出されるたびに、ガチャガチャコーナーの前に立ってはジーッと見つめ「回していいよ」と言われるのをひらすら待つ。そんな言葉がかかるのは1ヶ月に1度あるかないか。そして我慢の日々の末、手に入れたガチャガチャチャンス。しかしチャンスは1度きり。欲しいものが出るわけもなく。

「なぜこんなにも我慢してやっとたどり着いたのに、グフなんだ。僕が欲しいのはフリーダムガンダムなのに。」

それでもガチャガチャ2回目は潔く諦めて、大人しく我慢することができた。そう、欲していても物欲を抑制することができた。

大人になり自分で稼げるようになって、そういう我慢をしなくてもいい状態になった途端、溢れ出てくる物欲。別に欲しいと思ってなかったものでも、急に買いたくなってしまったり。なんとなく子供の頃の怨念を成仏させてあげようとガンダムのガチャガチャを少し回してあげたり。
もはやただお金を使うことだけに楽しさを覚えてしまって。これはもう物欲というかお金をただ使い果たしたい欲というか、こんなお金の無駄遣いは絶対にしなかったのに。
物欲が爆発してお金を使い果たしたい欲に。大人になった私はいつだって物欲砂漠で彷徨ってしまっているのです。そして遣ってしまったという後悔に取り憑かれている。

その2.「怒り」

子供の時は怒りたくても怒れないことが多かった。どうしても怒ろうとしたらその前に感情が溢れ出して泣いてしまう。怒る前に悔しくて泣いてしまう。よくありますよね。
そんな子供の時に外に出すことができなかった怒りたちが怨念となって、大人になった私の中に入っている。
その怨念に取り憑かれてからは小さなことでも怒れるようになってしまった。本当に、本当にどうしようもなく些細なことでも怒れるようになってしまった。
大人になってから感情を爆発させることの気持ち良さを知ってしまったからかもしれないけれど。

ああ、怒りを吐き出すことはこんなに気持ちがいいものなのかと。こんなにスラスラと言葉が出てくるのかと。
誰かに怒ってる時に相手がヒエエとなっている姿を見ると、もっといじめたくなるというか、意地汚くなってしまう。それは間違いなく子供の頃にできなかったことで、怒りに身を任せるということに快感を覚えてしまっている。快感というものは一度味わってしまうとなかなか抜け出すことができない。誰かを説教するのが楽しくて仕方がない。

嫌な人間になってしまったと自分で悲しく思いながらも、ただこの嫌な人間であることに変な優越感も同時に得ている。そう思うのには“変わることができた”と前向きに捉えている自分がいるからなのかもしれない。

とは言えど、表に出せない怒りはまだまだ自分の中にたくさん残っているわけです。まだ子供の時は怒りを自分の中で押さえ込めても消化するということが容易であったけれど、大人になるとそれが全くできなくなる。100%感じた怒りは日が経つにつれて120%、150%と増えていく。そうして溜まりに溜まった怒りは腐って、それを見ないように蓋をすれどガスは溜まり、やがて爆発する。しかしその爆発も小爆発程度にしか起こすことができなくて、怒りとはまた種類の違うフラストレーションが溜まっていく。
フラストレーションが限界に達すつととリセ活が始まるのです。

その3.「うんち」

子供の時はいっくら「うんち」や「うんこ」と言いたくても、母親にそんな汚いこというんじゃないと叱られてしまうから言葉にすることができなかった。
そしていつのまにか言葉として生まれてくることができなかったうんちの怨念が私の中にいる。うんちの怨念がうんちだけにクソ詰まりしているのだ。

しかし大人となった今、母親は私に愛想を尽かし何を言っても干渉されないし、何よりも一人暮らしなので家でいっくらどんな汚い言葉を吐こうが誰も文句をいう人がいないのだ。そんな自由を知ってしまった時から私は事あるごとに「うんち」と口に出すようになってしまった。うんちの怨念の仕業だろう。

何か嬉しいことがあれば「うんちっち!うんちっち!」
何かムカつくことがあれば「こいつうんちかよ」
何か悲しいことがあれば「… … うんち。」
何か面白いことがあれば「うんちマンすぎるww」

こんなに便利な言葉があるだろうか。気が付けばうんちという言葉に私は甘えてしまっている。家の中での語彙力は皆無に等しい。こうしてうんちと言葉を発する快楽に溺れていると脳みそが溶けていく。やはり快楽というものがその存在自体が悪なのかもしれない。

ただこのうんち問題、まあなんだろう世間がうんちを許している傾向もあるし、そこまで問題もない気がする。うんこドリルとか流行ったくらいだし。
なんなら今、もしかしたら日本は空前のうんちブームの中にあるのかもしれない。SNS等で自分の意見を口にすれば、見つけたと言わんばかりに叩かれたりする世の中。自分の中の負の思いをうまいこと吐き出せなくなったこの世の中で、もっとも負の感情をこめやすく、もっとも柔らかく表現できるのが「うんち」なのかもしれない。

寝ます、おやすみなさい。

ライターはこの人

熊谷
『個性派ライター』のクマガヤ
1人で群馬から東京まで歩いたらどうなるんだろうと思い付き、実行する強い好奇心も持ち合わせている。

「もう書きたくない」がお決まりの言葉。
FacebookでシェアTwitterでシェアTumblrでシェアPinterestでシェア