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妹という存在がもたらす“みわざ”と人々が崇める神々しい理由

妹という存在がもたらす“みわざ”と人々が崇める神々しい理由

先日、電車を降りる際に電車とホームとの間にスマホを落としてしまいました。
歩きスマホはいけませんね。鉄槌を食らわされた気がしました

とはいえど人と待ち合わせをしており、到着しましたと連絡をするためにスマホを取り出しただけです。ほんの一瞬の出来事です。

ねえ、神よそこまでシビアにならなくてもいいのではないですかと問いたいところでしたが、これは別に神様からの戒め行為ではなく、私のケアレスミス的なやつなので神様を責めるだなんてお門違いでした。でもまあ駅員さんが“慣れた手さばき”で上手に取り出してくれたのでよかったです。
画面バキバキになってしまいましたが、電源ボタン機能しなくなりましたが、更新月まであと1ヶ月でしたが、それでもよかったです。エレベーターやボットン便所に落としてしまうよりも。

さて私には3つ下の妹がいます。妹がいない男性諸君にとっては妹という存在は神々しいものだとお伺いしておりますが、現実は……全くもってその通り、神々しい生き物でございます。全くもって、その通り、でございます。
本日は妹という存在がなぜ神々しい存在であると言えるのか、その理由について3つ書いていきます。



妹という存在がいることで世界は潤滑に回る

物事には優先順位というものがありますね。もちろん、この優先順位というものはケースバイケースで変わってきますが、唯一この世の理でも覆せない優先順位があるのをご存知ですか。
それが「妹>兄」という関係性における優先順位です。自分よりか弱い年下であり、自分よりか弱い女の子である。この存在をどういう道理で抑えつけられましょう。この世の中の法則の一つと言ってもいいでしょう。

幼少期の頃より、人様から与えられたお菓子やおもちゃは、妹から選ぶ権利が発生します。たまに妹から私へ優先順位の譲渡が発生することもありますが、これは受け取りたくても受け取れないのです。受け取ってしまった瞬間に、私は兄という称号を周りの人間やお母様、神から剥奪されてしまうからです。

世界は妹を中心に回転しております。その中心を変えてしまうということは、世界のバランスが崩れてしまうということ。すなわち、世界からの追放を意味します。それであるが故に、常に優先順位は妹にあるのです。間違っても、嫌々「いいよ!先選べよ!」なんてことを言ってはなりません。

兄という存在になって初めて覚えるのが「物事を譲る」ということです。先述の通り、兄という存在になった瞬間から常に物事の決定権を誰かへ常に譲らなくてはならない運命にあるわけですが、これは争いを回避するスキルがあるという風にも捉えることができます。

妹という存在がいたからこそ、我を強引に通すこともなく、また、争いの種にすぐ察知することができる。無駄な争いを起こすことがない、兄という存在は世界の潤滑油であり、世界は兄という存在で成り立っていると言っても過言ではないのです。兄という存在で成り立っているということは、世界は妹という存在で成り立っているということです。兄妹優先順位の法則です。

妹という存在が神々しい存在である理由の一つです。

妹という存在がいることで世界から争いが無くなっていく

さて幼少期の遊び相手といいますと、身近な存在である兄弟になります。男の子やりたい遊び事と女の子のやりたい遊び事はほとんどが異なることになるかと思います。私たちもやりたい遊び事はそれぞれ違いました。

基本的に私がやりたい遊びに妹が同調することはありませんでした。が、しかし妹の行う遊びには参加しなくてはなりません。シルバニアのファミリーに赤ん坊のメルとして加入してみたり、大人な女性リカのファッションショーに赤ん坊のメルとして参加してみたり。もちろん、“ちゃんと”やらなくてはいけないのです。ちゃんと赤ちゃんをしなくてはいけないのです。幼少期の頃より、そういった遊びに参加することで、プライドというものが芽生えるのを阻止し、柔軟な大人になれるよう、厳しい世の中を生きやすくなるよう妹という存在が兄を育ててくれるのです。

また、先述した通り、私の遊びには妹は興味をもつことがないので参加してくれることはありません。それ故、隠れて一人で遊ぶのですが、例えばウルトラマンのフィギュアと怪獣のフィギュアで戦いごっこをしていると、どこからか妹がリカちゃんを持ち出してきて、一人で繰り広げていた残忍な戦争が平和なファッションショーへと変貌します。
例えば、私が64でスマッシュブラザーズでコンピューターをボコボコにしていると、どこからか妹がドリームキャストを持ってきて、キティちゃんのパズルゲームを始めます。残忍ないじめを誰も苦しまないパズルゲームの世界へと変貌させます。

そうなのです。妹という存在がいることで争いの種がまさに一つ一つ無くなっていくのです。常にいつだって平和な世界は妹から始まるのです。

妹という存在は試練を与え知識を与えてくれる

さて妹という存在が奇蹟を起こす存在だということはわかってもらえたと思いますが、ただ妹という存在は起こす奇蹟と同じくらいトラブルを持ってくるのです。いくら神々しいとはいえ、妹もまた私たちと同じ人間なのです。人間であるということは世界プラスマイナスゼロの法則が適用されるわけですから、良い分悪いことがあるのは仕方がないのです。

いつだったかは夜中にボーリングの球を顔面にぶつけて顔を腫らして帰ってきたり、いつだったかはネズミ講紛いのものにハマりかけたり、交通事故はしょっちゅう起こしたり。様々なトラブルを持ち帰って来られます。その度に私たちはハラハラさせられ、頭を悩ませます。

ただ、様々なトラブルと直面することで私たちはあらゆる問題について真剣に考えたり、調べたりすることで日常外の知識を得ることができます。いざそういったトラブルが起きた時に、どう対処するべきなのか。それを妹という存在は自らを犠牲にしてデモンストレーションを行ってくれているのです。

こんな自己犠牲をできる人間がどこにいましょう。こんなトラブル実習どこで受けられましょう。一体授業料はいくらかかるのでしょう。妹という存在はそういったトラブルの対処法を最低限の費用で学ばせてくれるのです。

人生は順調であり続けることができません。不安定なものです。人生には必ず大小あれどトラブルというものが付き物なのです。そんなもしもの時の為にと、まるで神のごとく試練まで授けてくれるわけです。妹という存在が神同然の存在であることを理解していただけたでしょうか。人々が、世界が、妹という存在を必要としている理由がよくわかりましたね。

ちなみに妹という存在がいることの弊害について一つだけ書かせていただくと、年下の女性が恋愛対象にならないということです。ただでさえ女性を選べる立場ではないのに、恋愛対象として見ることのできる女性の幅が狭くなってしまいます。私の生きがいは恋愛をすることです。生きがいを半分剥奪されていると言っても過言じゃないでしょう。私の夢は結婚をすることです。夢の可能性を半分剥奪されていると言っても過言じゃないでしょう。恩恵以上の弊害だと認識しています。

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