
どうしようもなく眠れない夜がある。そんな夜は身体も心も疲れているのに、頭がずっと動いてしまう。
今考えても仕方ないのに、頭は僕の意志を無視してあれこれと思考をめぐらせている。
早く抜け出したい、そう思えば思うほど抜け出せない。眠れたという実感がないまま朝を迎えて、また不安に押しつぶされそうになる。
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どうしようもできないときほど苦しい
本来の僕は、悩んで眠れない日を過ごすことなんて無い。いつもなら、寝る前にスマホを片手に動画鑑賞でもしていれば、睡魔がやってきて眠りにつける。
そんな人間でも、数年に1度は悩みを抱えて眠れない夜を過ごすものではないだろうか。
何かに忙しいとき、悩みを忘れることができる人がいる。僕もその一人だと思う。
つらい時こそ何かに集中していたい、がむしゃらにそれだけをしている間は考えたくもない不安を感じなくて済む。
だけど、夜だけは違う。寝る前に来られたら何もしようがない。
スマホで気になる情報を検索していても、見るつもりだった動画を視聴していても、常に不安なことが頭をよぎるから全く集中できない。
ぐずついた天気は映画のシーンが切り替わるようには晴れない
一度眠れない夜を過ごしてしまうと、モヤモヤした気持ちは翌日になってもスッキリすることはない。
できれば目の前にあるケムリを手で払うように、心をおおう不安を取り除きたいと強く思う。
だけど、実際はじわじわと少しずつ、ゆで卵のカラを剥くように取り外して行くしかないのだと思い知らされる。
ゆで卵も初めにヒビを入れないと剥けないのと同様に、不安を叩き破るのは自分以外の誰かの存在だった。
友人、恋人、家族でもいい、気持ちが分かち合えなくてもいいから、何気ない会話を交わして同じ時間を過ごすだけで、自分ではどうすることもできなかったカラにヒビがはいる。
そのあとは、自分自身でゆっくり少しずつ心に張り付いた嫌なものを取り払う作業。
読んでくれる人はどう思っているだろうか
ここまで付き合って読んでくれたあなたは、どう考えたのだろうか。
何を言っているんだ、それができれば苦労しない。そう考えている人も少なからずいるだろうと思う。
だけど、気づいて欲しい。僕のちょっと前と同じように、苦しいときには解放できる手段が無いように見えても、乗り越えてみればそれまでの不安が、思っていたよりも薄く感じるものだ。
不安を見えない所に押し込んだだけかもしれないとしても、目の前が全く見えない状況から抜け出せたなら、隣に歩く誰かを見ることができる。
自分との会話は、誰かと話をした後でいい。
眠れない夜を過ごして、改めて気付かされたことだった。