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「赤いりんご」は「青いりんご」心理学で知った忘れられない話

「赤いりんご」は「青いりんご」心理学で知った忘れられない話

大学生の頃、授業で心理学を学んだことがある。ある日の授業内容が、今でも思い出してしまうくらい、深く印象に残っている

ある人に“りんご”についての印象を聞かれたとしよう。ほとんどの人が“丸い”だとか”赤い”と答えると思う。

「みんなが思っている“りんご”の印象は間違いかもしれない」そんな意味が分からないところから授業が始まる。



色を決めているのは

僕らが普段目にしている風景やモノには色が存在する

赤い屋根、白い犬、黄色いバナナ、どれでもいいが誰から見ても同じだ。

それは何処で判断しているだろう。

色は、目で見て判断していると思われがちだが、実際に認識しているのは脳だということを多くの人は直ぐに答えられない。

かなり教科書的な言い回しになってしまったけれど、要するに色はすごく曖昧な存在なのだということなのだ。

それぞれに違う服の色

話を少し元に戻して、“赤いりんご”について考えてみる。

100人のうち99人が“りんご”を赤いと認識して、1人が黄色だと主張したとしよう。

「そんなわけないだろう」、「色が分からないのかな?」と言われるような状況だが、もしかしたら本当はりんごは黄色いのかもしれないのだ。

みんなが赤いと言っているのは、大多数の人がそれを赤いと認識しているだけであって、それが本当に赤いのかどうかを知ることは絶対にできない。

脳での認識が人によって違うだけで、黄色だと認識した1人が間違っているとは言えないからだ。

すごく胡散臭く、スピリチュアルな話をしている様に感じるかもしれない、分かりやすくもっと身近な話に例えてみよう。

同じ色の服を見て「何色に見えますか?」という画像が何年か前に流行ったのを覚えているだろうか?

その服は見る人によって、「青・黒と答える人」と「白・金と答える人」で意見が分かれるというのが不思議だと話題になった。

それほど、人間の脳で認識する色は曖昧で、人によって異なる可能性があるということが分かってもらえると思う。

僕らはすごく曖昧な世界で生きてる

これが、大学の授業で習った心理学の今でも忘れられない授業の内容だ。

不思議の国のアリスに出てくる赤の女王が、白いバラは許さない全て赤でなければと口にしているシーンがあるが、今の世の中はそれに近い部分がある様に感じる。

多くの人が“それ”を支持しているから、“それ”が正解とされてしまう。

間違っているのかもしれないということは、誰も思っていない。

誰もが曖昧な世界のなかで、不安だから答えを求めている。

それ自体は決して悪いことではないし、生きていく知恵であることは確かだけれど、白いバラを求める人を認めることも必要なのではないだろうか。

そんな哲学的な終わり方を装って、ネタ切れで苦しい僕のコラムを終えようと思う。

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