
ポイ捨ては止まりません。これから夏へと近づき、祭りが始まるとどんどん、どんどん街が汚れていきますね。
そこら中にポイ捨て禁止の看板があったり、常識としても認知されているのになぜこんなにもポイ捨てが減らないのか。
それにはきっと必ず意味があると思うのです。
今回は私なりにポイ捨てする人がなぜポイ捨てをするのか、その理由について考察してみました。
目次
理由その1:そもそも日本がゴミだから
普通、ゴミ箱以外にゴミを捨てませんよね。
路上はゴミ箱じゃないと私は考えており、ポイ捨てする人はどうかしてるんじゃないかと思っていたのですが、安易に人の行動を否定することは最も愚かなことなのです。必ず人の行動には意味が伴う。少し考えてみましょう。
ゴミはゴミ箱に入れるもの。ポイ捨てをする人たちにとって、そのポイ捨てをする場所はポイ捨てしてもいいと思える場所、ゴミ箱と同等だと考えているのではないでしょうか。
つまりポイ捨てする人たちは日本はゴミであると、世間に対する不満をポイ捨てすることで遠回しに表しているのです。小さな抵抗、声なき声の表れです。渋谷なんてすごく汚い印象を持ちますが、若者が集まる地だからこそ、その声なき声の形が表れているのではないでしょうか。
どうしたって若者の声は世間に通りづらい。考えが甘いとバカにされがち。ポイ捨てしたくてしているのではない、きっと助けを求めているのでしょう。
自分で出したゴミを自分で持ち帰ることができないだなんて、野糞しているのと同然のことと思ってしまいがちですが、これは彼らからの声にならないSOSなのです。
理由その2:団結力を高めるための必要悪だから
ワールドカップやオリンピックの時に日本人サポーターがゴミ拾いをして帰るということが賞賛されましたよね。正しい行いをするということは個々では簡単なことですが、大勢の人が集まるとそれを行うことがものすごく難しくなります。ですから、このニュースを聞いたときはすごく誇らしく、嬉しい気持ちになりました。
誰かに指示されるわけでもなく、それを行うことができる。一体、なぜこんなことができるのか。訓練でもされているのですか。
ああ、そうか!ポイ捨てをする人たちがいるからだ!
彼らはなんでもない普通の日常においてポイ捨てをすることで、ゴミが捨ててあることの不快さを教えてくれます。また、この間のワールドカップの時やハロウィンの時など、人が集まる大きなイベントの時には盛大にポイ捨てをしていきます。これは多くの人々にゴミが散らかっていることがどれだけ汚いことか、教えてくれているのではないでしょうか。
そしてそれに気がついた人々が率先的に街を綺麗にしてくれる。人々のポイ捨てへのヘイトを溜め、自ら反面教師として活躍している。
私たちのポイ捨ては悪だという意識付け、あえてポイ捨てすることで裏からサポートしているのかもしれません。彼らは必要悪としてポイ捨てをしているのです。ああ、なんて素晴らしい、なんて出来た人たちなのでしょう。圧倒的感謝です。
理由その3:喫煙者のネガキャン目的のため
ポイ捨てと聞いて一番思いつくのが吸い殻のポイ捨てですよね。その辺にポイと捨てたり、排水溝につっこんだり、街路樹のところに隠したり。
彼らはタバコによる害が副流煙だけでなく、街も汚くするというまた違う弊害をアピールをしているのかもしれません。人々に喫煙者のネガティブキャンペーンを行うことで喫煙というものへの不満を溜め、社会全体の禁煙化を促している。
ではなぜ自ら喫煙者なのにそんなネガキャンを行い、禁煙化を促すのか。きっとそれが一番誰もが幸せになれるという考えだからなのでしょう。
自分だってタバコは吸いたいけれど、街中での禁煙化を実現したほうがより良い社会になると考えているからです。どうですか。とっても立派な考えじゃありませんか。ここでも自らを犠牲にして、ポイ捨て活動を行なっているわけです。
よもやポイ捨てをする人たちが社会を動かしている。そう言っても過言ではないのです。素晴らしい。感服ですね。
さて、冗談は程々にしておきまして、ポイ捨てをする人はすごく根性があるなと思うのです。よくそんな堂々と捨てることができるなあと思うのです。だって絶対悪いことだってわかっているでしょう。それを堂々とすることができるんだもの。中には、税金払ってるんだから、これくらい別にいいだろとか、これくらいの仕事しろよとか考えてるのかもしれません。あとはこれくらいだったらいいでしょとかね。
ポイ捨てだけじゃない。缶瓶のゴミ箱にコンビニの弁当箱つっこんだり、逆に燃えるゴミに缶瓶を捨てていったり。捨てればいいってもんでもないわけですよ。マナーは守れてもモラルは守れていないと言いますか。別に私が掃除するわけでもないし、私が分別し直すわけでもなければ、そんなに目につくかって言ったら実際そんなに目につかないし、ただ汚えところだなって思うだけでさ。
ただね、昨日帰り道に街清掃でゴミ拾いをしている小学生たちを見かけまして。
私たち大人が汚した街を子供らが掃除してるわけです。要は子供らに私たち大人のケツを拭いてもらってるわけですよ。
非常に情けなく思ったら書きたい気持ちがこう溢れ出てきたわけです。