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何故、友達がいないのか。 – ばかにゅー.com

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何故、友達がいないのか。

何故、友達がいないのか。

生活を営むためにに必要なものは“お金”と“健康”。
そして人生を謳歌するために必要なものは“愛情”と“友情”だ。

私には少しのお金と若さゆえの健康、家族からの愛はあるが、友情が全然足りていない。
4月に入り新しい年度が始まった今、自分は何故友達がいないのか振り返ってみることにした。



目次

原因1.「オカルト」

まず第一の原因としてオカルトにはまってしまったことだ。

中学の時にUFOを初めて見て、それに興奮してネットで調べて、そしたら矢追純一が出て来て、宇宙塾というものがあることを知り、なんなのかは難しくてわからないけどとにかく独特な世界に憧れてしまい、僕もそんな世界の住人になりたい!と独特な中二病を発症してしまった。

頭のネジが外れた、というよりも別の何かに入れ替わってしまったのだ。

友達が一番作りやすい環境であった学生時代に、ちゃんと友情というものを作っておくべきだったのだと今は思う。
中学に拗らせてからの私は、高校生になっても友達と放課後にどこか遊びに行くわけでもなく、仲間と共に部活に励むわけでもなかった。
部活に加入していない人はクラスに40人生徒がいて、私1人だけ。
先生に何か言われちゃうかなあとドキドキしていたが、結局3年間何も言われなかった。そもそも先生に何か言われるということ自体が、学生時代に一度もなかった。
ある意味自由だった。

一人放課後にチャリを走らせ、ファミチキを買い、心霊スポット回りや廃墟や城跡巡りをするのが日課。
不思議な体験がしたくてそんな事をしていたわけではなく、間違いなく“オカルトに真剣になっている自分”に溺れていた。

教室でもみんながPSPでモンスターハンターを楽しんでいる間、私は携帯でオカルトサイトを見漁るか、ドットハンターで遊ぶかのどちらかだった。
変わり者でいることに悦になっていたわけだ。

そんなオカルト好きな人間、いじられて逆に友達ができるんじゃないか?と思うけどそうでもなかった。
むしろオカルト好きであるということすら知られることがなかった。そもそもそんなに私に興味を持ってる人がいなかったのだ。

ある意味自由だった。

原因2.「節約」

そんな学生時代を送っていたわけだけど、友達が誰一人できなかったかといえばそういうわけでもない。
卒業後も一緒に遊びに行ったり、今でも交流のある友人も数人いる。学生時代にお付き合いをした子もいる。

さっき書いた感じでは、まるで誰とも話さないというイメージを持つかもしれないが、そういうわけではない。
むしろ、ある程度クラス全員と対等に話せていたと思う。誰とでも話していた。ただ距離感の近い友人はいなかった。
どことなく気を遣い、どことなく気を遣われていた、クラスメイトにも先生にも。そういう感じ。うえ〜いみたいなのをしたかったけど、うえ〜いはなかった。そんな感じ。

それでも卒業後誘って来てくれる友人がいて、すごくありがたかったのだけれど、社会人になった私はとにかく節約にこだわった。
少しでも多くの余裕を作っておかないと安心ができなくなってしまった。節約病にかかってしまったのだ。

だからせっかく誘ってくれても、「仕事で疲れてるし、外行っても無駄にお金使うだけだし、だったら家でゆっくりしてよー」という気持ちが先行してしまい、「ごめん、仕事が忙しくて」と嘘をついて断ることが多かった。
そしたら「すごく仕事が忙しい人」というイメージがついてしまい、誘われることがなくなってしまった。

やっぱり何事もバランスが大事なんだと思う。
けれどその気持ちは今でも変わっていなかったりする。

原因3.「DNA」

さて、色々と真面目に振り返ってみたものの、友達がいない最も大きな原因はDNAだと思う。
私の両親共に友達が極端に少ないのだ。

父親や母親が「同窓会に出てくる」や「友人とご飯行ってくる」なんて話を聞いたことがないし、間違いなく二人とも休みの日は家にいた。
母親は全く友達がいない。父親も全くいない。
学生時代の父親の後輩に何度か家族ぐるみで会ったことはあるけれど、明らかに父親の態度がぎこちなかった。常に引きつり笑いというか愛想笑いというか、私は子供ながらなんで後輩にこんなに気を遣っているのだろうと感じていた。

多分、人付き合いが苦手なのだと思う。
私はそんな二人の姿をみて育ってしまったものだから、友達が少ない人種になってしまったのだ。
完全にDNAのせい。

人付き合いが苦手な我が家系。とは言えど両親、私共に共通して言える得意なことがある。

それは
異性とは誰とでもナチュラルに自然体で屈託ない笑顔でコミュニケーションが取れるということだ。

つまり人付き合いというパラメーターにおいて私たち熊谷家は異性交流にステータスを全振りしてしまったのだ。
ただ単純に人付き合いが苦手なのではなく、同性への人付き合いに積極性を持つことができないだけなのかもしれない。
ただのタラシだったわけだ。

今自分で書いていてこんな結論が出てしまったことに驚きを隠せない。

ライターはこの人

熊谷
『個性派ライター』のクマガヤ
1人で群馬から東京まで歩いたらどうなるんだろうと思い付き、実行する強い好奇心も持ち合わせている。

「もう書きたくない」がお決まりの言葉。
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