
朝、出社するためにスーツに着替えようとしたら、パンツの裾上げテープが取れてしまったんです。そしたら内側から余った布が垂れ落ちてきて、どうにもしようがなかったので、手元にあったハサミで切り落としました。
ただ切り落としたものの仕事をしているうちにほつれてきてしまったんですね。これまたしようがなかったので手元にあったカッターで、ほつれた部分を切り落としたんです。しかし切っても切ってもほつれが止まらなかったので、ああ、もう!だなんてセロハンテープでくっつけることにしました。もちろん、すぐに取れたんですけどね。
こんな時に私は思うのです。ああ、実家に戻りたいなって。
どうでもいいですよね。
さて先週は渋谷でのハロウィーン騒動が話題になっていましたね。皆さんはあのニュースをみてどう思いましたか?
私は会社が渋谷になくてよかったなと思いました。ド平日にあんなに人が集まって、あんな騒ぎになっていて、帰るのがすごくたいへんですよね。電車もすごく混みそうだし。
何かあればすぐ渋谷に集まる。これだから田舎者は……みたいな吹聴が新しくできていましたが、勘弁してくださいよ。そうやってすぐ何でもかんでもまとめあげようとするんだから。ねえ。
ごもっともだとは思いましたが。
目次
少し昔の話をしようと思います
あまりこういうことは書きたくなかったんですけどね。自分のメンタルの弱さをさらけ出すようで。
ただ、仕方がないです。何もネタがなかったので。
私は工業高校出身で高校を卒業すると同時に働き始めました。
1番最初に入社した会社がビルメンテナンスを行う会社でした。上場しており、なかなか規模がでかい会社だったので、まあとりあえず安泰ではあるかなと思って入社したのでした。最初の何ヶ月かは研修施設でビルメンテとはなんぞというお勉強をして、そのあと配属先の発表がありました。
1番最初に配属されたのが、つい最近できた新しいビル。何棟か並んでいるビルで、まあなんともご立派なビルでした。そのビルの部署には15人ほどの作業員がおり、毎日違う人に教えてもらいながらそのビルでの仕事内容を教わっていました。そこの部署の方はみんな優しい方で、丁寧に教えてもらっていました。しばらく日勤を経験したあとに夜勤に入るようにもなって。3ヶ月ほど経ち、徐々に職場環境にも仕事内容にも慣れてきたところである日、私宛に人事異動の通達が。
今度は施設の古い宿泊施設への異動でした。
まだ入社して半年も経ってないのにいきなりきた人事異動にものすごく不安を感じました。しかもA先輩から「熊谷、〇〇に異動するんだって?あそこは大変だから覚悟しておいた方がいいよ」なんて、まあまあ悪い噂を聞いてしまって。超不安だなあなんて思ってたら人事担当の方から電話があって。そしたら「熊谷くんは若いから、早いうちに色々な現場を経験してほしくてね。」とのことでした。
ペーペーだった私はその言葉を鵜呑みにして、期待されてるんだ!なんて気分一転、人事異動を前向きに捉えたのです。
新しい配属先にはビルメンテの作業員が2~30人ほど。初日はオフィス長と共に挨拶周りをして、色々施設のことについて聞いて回りました。2日目から担当の作業員の方と一緒に回るように。思えばこの日から地獄が始まっていたのかもしれませんが、正直あまり記憶にございません。
ただ1日のはじめにオフィス長から今日はこの人について行って、と言われその人に今日はよろしくお願いしますと伝えて、一緒に回らせてもらうのですが、仕事内容について一切説明がない。質問をしても回答がない。完全フルシカト。
見て覚えろなんてことなのかもしれませんが、経験が一切ないので何をやっているのかもわからない。ただ本当に後ろにくっついて回るだけで1日が終わる。お昼も誰かに誘われるわけでもない、みんなどこかへそそくさと消えていく。どうしたらいいのかわからないから、ただみんなが帰ってくるロッカーの前でお昼を過ごす。そんな状況が入ってからいきなり2週間ほど続きました。
朝起きることが怖かった
2週間ほど経って、オフィス長から今日は巡視を1人で行ってきてと言われました。巡視表を持ったこともなく、見方、どのデータをとるのかもわからなかったのですが、とりあえず見よう見まねで回りました。が、もちろんわからないことばかりで、近くにいた先輩に聞きにいくのですが、今日は一人でしょなんて突っぱねられて。半べそです。というかその前から毎日朝起きるのが怖くて。
結局、誰かが教えてくれるわけでもなかったので直接オフィス長のもとへ。そしたら怒られました。なんで2週間も回ってわからないんだって。今思えば、ちゃんと教わっていたとしてもたった2週間で覚えられるわけがない。めちゃくちゃ大きい施設なので回る場所、鍵を覚えること自体に時間がかかるわけですから。ただ精神的に参っていたので謝ることしかできませんでした。
翌日も先輩について回るのですが、完全に空気扱いです。オフィス長のもとへ行き、実は……なんて相談をしても、聞き方が悪いんじゃないのかとか私に非があるような言い方をされました。どうしようもありませんでした。
やめればいい、休めばいい、とかいくらでも手段はあるのですが、それを選ぶのが怖いのです。やめると言ったら、休むと言ったら。どれだけいびられることだろうか。
逃げようがありませんでした。だから私は死にたくはないけれどどうにかして仕事に行けなくなる状況を作りたい、とある日出勤前に市販の睡眠薬を一気に2箱飲みました。これだったら死にはしないけど、意識混濁くらいにはなるだろうと思って。
そしたらね、何も起こらない。意識混濁するどころか、目眩すら起こらない。5分経っても、30分経っても、1時間経っても。結局出勤しなければ行けない時間になったのでそのまま出勤しました。ただ本当に朝から夜までずっと眠たいだけ。
この日は本物の地獄を見たような気がします。
それから毎日くだらない日々が続いて、私は何かの扉を開けるたびに「開けた先が天国でありますように」なんて願うようになったりして。
解放されるきっかけになった言葉
2ヶ月ほど経つ頃に私の歓迎会が開かれました。ビル管理の人々とホテルマンの人たち合同で開催されました。真ん中に座らされたものの、私が主役なはずなものの誰も話しかけてこない。私も誰にも話しかけることができない。私の右側にいる人たちは右側にいる人たちだけで、左側にいる人たちは左側にいる人たちだけで、まさに谷が出来上がっていました。ちなみに私の真正面に座っている方は、定年退職後にこの会社に入ってきたおじいちゃんでこの人にも誰も話しかけていませんでした。そんなおじいちゃんに話しかけられることもなかったんですけどね。
泣きたくなるなんてものはありません。ただいかにいびられずにいられるか、いつ怒られるのだろうか、そんなことばかり考えていました。
結局、何もなかったんですけどね。全然、本当に、一言も話しかけられない。歓迎会ってなんなんだろうって。
そんな名ばかりの私の歓迎会がお開きになって、みんなで駅に向かっていた時、一番後ろで歩いていた私にホテルマンの長の人が話しかけてきました。
「熊谷君が2週間で辞めるか3万かけてたのに負けちゃったじゃん。」って。
それを言われて私は嬉しかった。悲しいとか悔しいとかじゃない。本当に嬉しかった。
今まで無視されて、いびられていたのは私が本当に悪いのではないかと思っていたから、自分の中で辞めても仕方がないと思える具体的な何かがなかったから、だからそれを言われてああ、こんなことを言われたのだから辞めてもいいんだよねと思えたから。だから本当に嬉しかった。解放される権利が得られたと思えました。
ずっと一緒に住んでいた祖母にも、誰にも自分を取り巻く環境について相談することができませんでした。正社員で働くってこういうことなんだと思ってたから。ましてや初めて入社した会社で半年ほどしか経っていないのに、職場環境について嘆くのは恥だと思っていたので。だけどホテルマンの彼の言葉があって初めて祖母に相談することができた。今日、こんなこと言われたんだって。
そしたらね、祖母から「仕事っていうのは自分が幸せになるためにするものだ。仕事をしていて幸せになれないのなら辞めてもいい」って。辞めてもいいんだ、大丈夫なんだって初めて思うことができた。子供みたいに泣いてしまいました。
その日から数日経ってから(結局怖くてなかなか言い出せなかった)、オフィス長に辞めたいと相談をしました。そしたらちょっと話し合おうということで、オフィス長と補佐の人と3人で話し合いが行われました。
正直、何を話したのか全く覚えていませんが、すごく色々怒られました。こんなので辞めてたらどこも続かない、教えた時間が無駄になる、辞めてどうするんだ、とかなんか色々。色々怒られたけど、なんかもう、どうでもよかった。
話し合いの次の日から有給を使い、そのまま辞めることに。後日、本社の人事部から呼び出しを食らいました。ああ、どうせまた怒られるんだろうなと思って出向いたら、担当の人から謝罪されました。熊谷君が嫌でなければ、他の部署に異動という形はどうかなと言われましたが、断りました。もう働くことが怖かった。
辞めてから前に所属していた部署のA先輩から連絡がきました。
そもそも私が異動させられたのには
最初の部署に私が配属される→そこの部署の人手が余る→誰か別の人を出してくれ→誰も行きたくない→じゃあ熊谷君
という流れがあったからだったようでした。
そして結局、その決定を行ったその部署のオフィス長が私が辞める原因となった部署に異動となったようです。
それを言われたところでどうしようもねえ、なんとも思わねえ、なんですが。
会社を辞めてから私は3ヶ月ほどニート生活を送りました。本当に働くこと自体が怖くなってしまったから。3ヶ月間家から一歩も出ませんでした。インターネット漬けです。
ただそんな私を見ても責めようとしない祖母を見ていたら、これ以上情けない姿は晒せないとバイトから始めることにしたのでした。
ビル管理というクローズな環境が人間関係を悪化させるのだと思って、接客のある靴屋のアルバイトに。それから色々な仕事を経験して、今に至ります。
ただ、かつてオフィス長に言われた“そんなんじゃどこに行っても続かない”ってのは案外間違いではないような気がします。実際そうなので。
たった2ヶ月ちょっとの出来事ですが、こんなに1日1日が長く感じたことはありません。毎日精神と時の部屋状態でした。
なんてこういう風に書いているとブラック企業だと言えるのかもしれませんが、この会社のことを堂々とブラック企業だと私は言うことができません。私自身のメンタルの弱さも関係している気がするからです。もし私に絶対負けねえぞなんて言うハングリー精神がもっとあれば、結果が変わっていたかもしれない。あともう1ヶ月我慢していたら状況は変わっていたかもしれない。認められていたかもしれない。結局逃げたことに変わりがない。
まあただ2週間ちょっとあれば、人間簡単に死に近いものを選ぶような状況に落としこめる。意外と脆い生き物なのかもしれませんね。
人間、大切にしましょう。