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そういえばいつの間にか左利きに憧れなくなったなあって思いました。

そういえばいつの間にか左利きに憧れなくなったなあって思いました。

二十歳くらいの時に東京オリンピックが開催されることを知り、将来私は東京オリンピックを生で見て、感動をして、その感動のあまり心臓発作を起こして死ぬ、そういう人間になろうと思ったのです。
死は喜劇くらいがちょうど良いのだから、そんな名言じみたことを考えていたわけです。
ちょうどその時の私は無職でいろいろなことに絶望していて自棄になっていたものですから。
まあとはいえど、東京オリンピックでの死者一名。なんだかドラマチックなような気もする、アナーキーな気もするし、ギャグっぽい気もします。深夜ドラマ感もするわけです。超どことなくです。
物事は考えようなのだなと思います。
いつかの歴史の教科書の端っこあたりに書かれるかもしれないなあとか、載ったとしても余白のキャラクターのセリフのところですかね。そんなことも想像したりするわけです。
もしかしたら同じようなことを考えている人もいるかもわかりませんね。
もちろん、今はそんなこと微塵も考えていませんが。

さて私達大人はいつの間にか大人になってしまっていたわけですが、皆さんは自分でどんなときに大人になったと感じますか。
いつ自分が大人であることを自覚しましたか。
私は中2くらいの時ですかね。部活に入って、戦績も良くて、成績も悪くない、交友関係も良好、恋愛ごとも楽しんでいた。全てが順調でなんだか世界が回っていることを実感していた時期ですかね。
要は調子に乗りまくっていた時期です。その時くらいですかね、もう自分は子供ではないと感じていました。勝手に大人だと勝手に自覚していました。
そりゃ義務教育で働いているわけでもないけど、自分の意思が強く芽生えていて、自分の考えも大人に対抗できるものだと自負していました。
今すぐ世に放たれたって生きていける、そんなことを考えていたわけではないけれど、感じてはいました。
だからといって別に学校をさぼっていたわけでもないし、家に帰らなかったわけでもないのですが、ただ大人に何か言われたときに言うとおりにしなければいけないのはものすごく嫌だった。
そう、いわゆる思春期というやつですね。

思春期もすぎれば特に自分が子供か大人なのかということも考えることもなく、ただ目の前の日常をチャリンコでぼーっと通り過ぎる日々です。
そして気がつけば働き始め、気がつけば成人になっていました。ただ目の前の日常を電車でぼーっと通り過ぎる日々です。
休みの日は節約のため家を出ない。そもそも友達もいないのですが。そして起きていればおなかが減るのでほぼ寝て過ごします。マシーンです。
自分の意思を持っているのにも関わらず、それが自分でもわからなくなってしまったマシーンです。
可愛そうなマシーンですね。そういうマシーンはきっとそこら中にいっぱいいますね。
で、なんでしたっけ。
大人になったと自分で自覚した瞬間ですよね。思春期を超えて、大人になって働き始めて、自分がどんな人間かすらも考えることなんてなかったわけですが、つい先日。晩御飯を食べていたときに、そういえばいつの間にか左利きに憧れなくなったなあと思ったわけです。
左利きの人は何か秀た才能があるだとかそういう風なことを聞きますよね。昔は自分の才能というものを信じてやまなかったわけで、だからこそ、それが顕著に出ている(と感じた)左利きの人に憧れていた。いつの間にかそんなものに興味がなくなってしまったわけです。
自分の可能性に目が行かなくなったわけです。

何がいいたいかってね。
無駄なのです。そんなことを考えるのは無駄だし、全く無駄なのです。
なんたってこの記事だって無駄なのです。所詮かさ増しのための無駄記事なのです。そしてそれに費やしている今というこの時間も無駄でしかない。
書いても書かなくても0に変わりがないことに時間を掛けているのは全くの無駄です。帰りが遅くなるだけで電車は混むし、飯は遅くなるし、帰宅してからゆっくりする時間も削られる、全く良い事なんてない。
3時間後に雨が降るのに洗車をするくらい無駄です。海面上昇を抑えるためにコップで海を陸に捨てるくらい無駄です。

でもね人生ってそういうものなんです。
無駄じゃなかったという可能性に掛けて動いている。

そう、私は今とっても情緒不安定。

ライターはこの人

熊谷
『個性派ライター』のクマガヤ
1人で群馬から東京まで歩いたらどうなるんだろうと思い付き、実行する強い好奇心も持ち合わせている。

「もう書きたくない」がお決まりの言葉。
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